紫野雲林院について

雲林院観音堂
雲林院観音堂

 平安時代初期(桓武、平城、嵯峨に継ぐ)淳和天皇の頃現在の大徳寺のある周辺は、離宮紫野院があった。後に雲林院と改称し、869年に寺となり千手観音を安置し、884年(桓武天皇の孫といわれている)僧正遍照が官寺に奏請し、元慶寺の別院としたらしい。「大鏡」に、雲林院の菩提講の話が出てくる。この地のことである。その後衰退し、大徳寺がこの地につくられ、全くその姿を失った。

僧正遍照歌碑
僧正遍照歌碑

 現在の雲林院は、大徳寺の境外塔頭として旧雲林院の名を継いでいる。

 大徳寺創建とともに建立されたが、1687年焼失中絶、1707年再建、1797年客殿、庫裏を弧蓬 庵に移し観音堂のみが現存している。

 私の母は、自宅から近いこともあって、毎日お参りをしているとよく言っていたが、観音信仰があったのだろうと思っている。

 歌碑は最近出来たものだが、「天つ風雲の通い路吹き閉じよ乙女の姿しばしとどめむ」と小倉百人一首の12番目の僧正遍照の歌である。