
世界遺産ということばを目にしたのはいつごろからだったろうか?1972年に発効した世界遺産条約を遅れて日本が批准したのは1992年であるが、私はさらに10年以上遅れて2006年頃から、意識し始めていたようだ。
特に講談社の世界遺産学検定公式テキストブックを読んだとき、「古都京都の文化財」
として出ていた地図の記述で、核心地域 緩衝地帯の総面積が約10.6k㎡とされ、実家
の場所が含まれていた。
1060haといえばニュータウン1つの面積である。自宅のある龍ヶ崎ニュータウンが700ha
ぐらいだから少し大きいぐらいに入るのか!
実家のあるところはそんなに貴重な場所かと誤解したのが始まりでした。
後日これは、テキストの誤りであることが判明しましたが、世界遺産地域ということの
重要性を感じたものでした。
登録地域は、登録資産(核心地域)約10.6平方キロメートルと、その周辺の緩衝地帯および歴史的環境調整区域を加えた約278.4平方キロメートル。 というのが正しい記述です。
これからは、点的に指定されている世界文化遺産について、現市長も目標とされている面的な世界遺産都市となることを望むものです。
コメントをお書きください